歴史好きが「もののけ姫」の世界を勝手に考察! ~時代考証編~
こんにちは。
前回ちょろっと書きましたが、今回はまたちょっとまた違った毛色の記事を書きたいと思います。
ずっと書きたかったのですが、タイミングが合わなくて書けず…
実は筆者、ジブリやミリタリーのほかにも、歴史が大好きなんです。
ジブリ映画はラピュタやナウシカなどのファンタジー世界だけでなく、
トトロや火垂るの墓のように、日本の一定の時代が舞台となっている作品もあります。
その中でも注目したいのは、「もののけ姫」です。
今回は長くなるかもしれません笑
その時代にあった独特の価値観の話を書くことになるかもしれませんが、
ただの歴史好きな筆者の勝手な解釈であることをご了承ください。
さて、もののけ姫の舞台ですが、公式設定では室町時代とざっくり言われています。
しかし室町時代は波乱の時代といえどもおよそ100年続きました。
それでもだいたいの目星はつきます。
それは作中頻繁に登場し、「もののけ姫」における「人間」の世界を象徴する
ものとして登場する「」そして、「石火矢銃」がキーとなります。
本編でも「石火矢衆」として武装している「石火矢」ですが、
見てお分かりの通り、火縄銃の原型にも見える長銃です。
しかし、こちら応仁の乱以前に中国から輸入されたもので、
元寇の際にモンゴル軍が使用したものの進化版とされています。
なお、エボシ御前のタタラ場では改良が加えられています。
アシタカを連れ、秘密の場所で試し打ちをするシーンでは、
およそ100m近いの山に直撃するほどになっていますが、
実物は長銃としての機能はかなり低く、威嚇射撃どころか
銃身が爆発して死亡する歩兵が出るレベルでした。
エボシ様危ないです。
作中で銃身の重さについて言及していますがそれどころじゃないです。
新石火矢銃はタタラ場の女衆に持たせることを意識していることで、
エボシ御前の考える「新しい人間の世界(自然を支配する立場)」を描写していますが、
実はかなりのハイレベルな話をしています。
「もののけ姫」に出てくるほどの威力や制度を持つ石火矢は存在しないため、
日本において石火矢銃はさほど広まりませんでした。
その代わりに登場したのが火縄銃、いわゆる「種子島」でした。
いわゆる種子島モデルと呼ばれる火縄銃は、
1411年にオーストリアで開発されたのが最古となります。
調べればすぐに出ることではありますが、主にドイツで改良が重ねられました。
日本にわたってきたのは1543年、種子島に漂着した渡来人(ポルトガル)から伝えられたとされます。
「もののけ姫」の舞台に火縄銃は登場しません。代わりに石火矢銃が出てきます。
火縄銃の広まりが現代ほどの速さではないにしろ、それ以前となります。
さて、長くなってしまったのでここで一回切らせていただきます。
次回もまた「もののけ姫」の時代考証と、場所の特定までできたらいいなと思います。
最後まで閲覧いただきありがとうございます!
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