歴史好きが「もののけ姫」の世界を勝手に考察! ~時代考証3&場所特定編~
時間があいてしまいすみません。
PCが地味にクラッシュしてました。
ほぼ自作PCなので、問題の発見と復旧に時間がかかっていました…
今回も「もののけ姫」の時代考察と、今回こそ場所の特定をしていきたいと思います。
前回はジコ坊、前々回はエボシ御前と石火矢という、所謂人間側の行動を見ていましたが、
今回は「自然側」から見ていこうと思います。
さて、作中唯一、日本の場所がわかる名前を持つキャラクターがいることに
お気づきの方もいるのではないでしょうか。
それは「鎮西のオッコトヌシ」…
「鎮西」とは、その名の通り「西を鎮める」という意味を持ちます。
厳密的には場所は特定しませんが、日本の場合、とある場所を意味します。
それは「九州」です。
ジバシリたちの会話で、「鎮西のオッコトヌシ…海を渡ったというのか?」という
旨のセリフがあるので、知識がなくてもなんとなくニュアンスで伝わるかもしれません。
さて、九州からやってきたオッコトヌシですが、どういったルートを辿ったかにもよりますが、
おそらく福岡県の関門海峡を渡り、山口県から陸路がわかりやすくかつ自然なものでしょう。
そう仮定して、今度は「そこからどこまで東に行ったのか」という点が問題になります。
それはアシタカが「でこまで西に行ったのか」という問題ともつながります。
正直言って一か所の場所を持って判断がつくのですが…
それは「京(京都)からタタラ場が東にあるのか西にあるのか」という点です。
個人的には現時点で大体2か所、タタラ場の場所が想定されます。
それはタタラ場が京から東、滋賀や三重あたりにあるとする「畿内東説」
逆に、タタラ場から西、岡山北部や広島や鳥取にあるとする「中国地方説」
このうち後者だとすると、おそらく森に隔絶されたというもののけ姫の背景から、
中国地方でも北部、山陰地方にあたると予想しています。
さて、ここでオッコトヌシです。
老体と言われたオッコトヌシが、海を渡りどこまでいけるか。
そして何より「あの巨体が京を突っ切るのか?!」ということです。
いくらなんでも無理だろう、だったらタタリガミに呪われたアシタカが
ヤックルに乗って京を突っ切った方が現実的です。これも十分不自然ですが。
となると、大体山陰地方にタタラ場があると考えられます。
また、作中に出てくる「アサノ公方」は、時代が若干後年になりますが「浅野家」でしょう。
所謂赤穂浪士で考えられる浅野家です。まあ、あの家は分家なのですが。
浅野本家は1619年に福島正則(賤ヶ岳七本槍筆頭)改易を経て、
浅野長晟が広島に入るので、かなり後の話(というか、もう江戸時代だし)なのですが。
ちなみに畿内東説の根拠はこの浅野家です。
広島に入る前は和歌山・近江などに拠点があるので…。
時代的にはこれも1500年代前半ではなく、1500年代後半なのでかなりラグがあるのですが。
さて、次回もう少しだけ、今まで書いてきたものの補足をしていければと思います。
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