歴史好きが「もののけ姫」の世界を勝手に考察! ~エボシ御前とタタラ場~


 

こんにちは。

今回、久しぶりにもののけ姫の考察をしていこうと思います。

といっても先週ぶりなんですが笑

 

さて、今回は以前にも少し触れた「タタラ場」そして、「エボシ御前」について、

もう少し掘り下げて書いていこうかと思います。

 

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「もののけ姫」の中でも人間側の最たるポジション、

自然側をサン、その中間をアシタカ、人間側をエボシ御前といっても

いいかもしれません。

 

時代考証や当時の自然の描き方の細かさに

定評のあるもののけ姫ですが、実は「タタラ場」と「エボシ御前」に

対する描き方は一定ぼかして描かれています。

 

「新石火矢」の開発や製鉄、また途中出てくるアサノ家の鎧から、

室町中期から末期までと大体の時代を絞り込むと、

所謂製鉄所でしかない「タタラ場」だけで要塞都市を作っている

あの場所はかなり異質なものです。

土地を治めている地頭もいませんし、

なにより外部の人間から語られることはありません。

 

物語冒頭、アシタカとジコ坊の会話にも、

「シシ神の森」というワードは出てきますが、

「タタラ場」という言葉は出てきません。

 

ジコ坊はタタラ場に出入りしています。

新石火矢の鉄塊を見せられれば、それがタタラ場の作ったものだと

一発でわかるはずです。

それでもタタラ場のものだとは言いませんでした。

おそらくジコ坊にとってアシタカにタタラ場のことを教える

メリットがないということをあえて早い段階で示すことで、

ジコ坊が物語のトリックスターだというヒントを出してるのでしょう。

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そういうことで、「タタラ場」は作為的に他人の言葉から出てこない存在です。

通常、女性が取り仕切る製鉄所、そしてそれを元手に国のようなものまで

作ってるなんてことになったら、絶対に物語の種の一つや二つになります。

男女平等という言葉が生まれた現代でもそうでしょう。

工業系の会社で頑張る理系女子なんて言葉がもてはやされるのが現在です。

 

それらはすべて、タタラ場がなにかということにつながります。

惣村(村民たちによる共同組織)ということも考えましたが、

惣村だけであそこまでのタタラ場ができるのかという点を

ぼかすと、それまでの重厚な物語の中でかなり浮いた論調になります。

むしろ終盤の「ここをよい村にしよう」というエボシの発言の方が、

惣村のはじまりに近いと思えます。

 

エボシ御前がどういう伝手を辿ってタタラ場を作っていった経緯が

まったく触れられていないのも、タタラ場というあの「クニ」がかなり不気味な

存在であることがわかると思います。

そしてそこで作られているものが今もわたしたちが使っている「鉄」であるということが

ジブリ映画の中ではナウシカの次くらいにニヒリズムを生んでいると思います。

 

長くなったので、エボシ御前やその周辺についてはまた次回にさせていただきます。

最後まで閲覧いただき本当にありがとうございます!

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