歴史好きが「もののけ姫」の世界を勝手に考察!~シシ神と自然の世界~


 

皆さんこんにちは!

今回もシシ神について書いていこうと思います。

 

もののけ姫の世界は、以前から繰り返し書いてますが

大きく見ると2つの異なる世界で構成されています。

 

1つは人間の生きる世界。

エボシが先導し神を殺そうとする世界。

その中で、エボシ率いるタタラ場と、ジコ坊率いる師匠連や

その上に立つ、姿の描写はなくとも圧倒的な

存在を持つ、朝廷の存在がある世界です。

 

そしてもう1つが神の世界。

これは自然側と言えます。

以前書いた猩々や、モロの君とその子。

タタリガミとなったナゴノカミや、鎮西のオッコトヌシたちの世界です。

そしてそれらを束ねる存在として、シシ神がいるのです。

 

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シシ神は「シシ神の森」の神であるだけの存在とは個人的には思えません。

象徴的なのは、劇中終盤、甲六の「シシ神は花咲じじいだったのか」のセリフまでの

自然の「復活」のシーン。

 

あのシーンには、それまでの自然とは全く違う自然が描かれます。

シシ神が存在した頃のシシ神の森は、大樹に囲まれ、

周囲には苔が生し、日中であっても鬱蒼とした「怖い自然」です。

 

「怖い自然」は、シシ神の首が跳ね飛ばされた瞬間に

生死のバランスを喪い、首に代わる生を求めるがごとく、人々の命を奪いました。

自然が人間を支配し、人間はその下で下剋上しようともがき、

武器を作り鉄を精錬し、それらを奪い合い多くの人を殺します。

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しかし、シシ神の首が飛んだあとの自然は、我々が知っている「怖くない自然」です。

ジブリ作品で言うところの「となりのトトロ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」を

思い出すような「里山の風景」です。

一回、「もののけ姫」をシークして序盤の自然と終盤の自然を

見比べてみてください。色遣いもさることながら、描かれている草木や花々が

思った以上に全く違っていて驚くはずです。

 

あの演出は一見、「人間が自然に勝利した」ようにも見えますが、

どちらかというと「引き分け」だったようにも見えます。

人間(アシタカとサン)が首を返したことにより、

自然は手を引き、同時にエボシも自らの行動を省みて、

「ここをいい村にしよう」をいう発言をします。

「いい村」というのは、人間だけでない自然と共生できる村という

意味合いが強いと思います。

(それまでのタタラ場も人間目線で見れば十分「いいところ」ですから)

その結果の「里山のような風景」なのでしょう。

 

ダウンロード (2)

 

アシタカの発言通り、シシ神は死んでいません。

生と死そのものは、絶え間なく循環するものです。

しかし、人間によりシシ神の首が飛び、

それを人間が返したことで、人間は自然と

肩を並べることができるステージに立ったと

言えると筆者は思います。

 

それは人間が自然を支配しているということではありません。

あくまで対等に生きているというだけです。

何故なら、ふとした瞬間に自然は人間に牙を剥きますから。

 

どちらかというと「歴史」ではなく「人類学」的な

記事になりましたね^^;;

この考え方は、日本ならではなのかもしれません。

キリスト教では「自然は神が人間のために用意したもの」ですからね。

それゆえ、「もののけ姫」が海外で受けた理由がちょっと気になってしまうのです笑

 

長くなってしまいましたが、最後まで閲覧いただきありがとうございました。

次回は未定ですが、もしあれば見てやってくださると嬉しいです。

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